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    タグ:タモリ

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    1 ネギうどん ★ :2023/08/14(月) 11:24:06.37 ID:EZJ3QOn29
     今年4月1日の夜。都内の高級住宅街にある邸宅の前に、白いワンボックスカーが横付けされた。慎重な足取りで降りてきたのは、キャップを目深に被ったタモリ(77)。傍らには、夫に支えられてゆっくりと自宅に入る妻の姿があった。

    「毎度おなじみ流浪の番組~」のフレーズで始まる深夜番組「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系・金曜24時20分)が、3月31日の放送で、40年半の歴史に幕を閉じた。最終回の平均世帯視聴率は4.3%。今年の最高視聴率で有終の美を飾った。

     1982年に始まった同番組は、多趣味のタモリが、古地図や鉄道、音楽などをマニアックに掘り下げる自由なスタイルがウリ。元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏が話す。

    「深夜帯で平均視聴率を2~3%も取っている番組は固定のファンが付いている。恐らくテレ朝は終了させたくなかったでしょう」

     それでも番組が終わったのはなぜか。

    タモリ側から“申し出”が……

    「タモリさん側から『区切りをつけたい』と申し出があった」(テレ朝関係者)

     前出の鎮目氏はこう推測する。

    「バラエティーの番組収録は体力や精神力を使いますし、少しずつテレビからフェードアウトする可能性があります。スタッフが『この人のために頑張りたい』と思える方なので、露出が減るのは残念です」

     タモリ自身は最近、長年親しくする知人にこう語っているという。

    「いま終活中なんだよ」

     それを裏付けるかのようにタモリは少しずつ「店じまい」を進めていた。2018年には10年間続けていたヨットレース大会「タモリカップ」に自ら幕を引いた。また、今年に入って、北海道東川町で構想が進む「KAGUデザインミュージアム」にジャズレコード約1万枚を寄贈することが発表された。タモリの友人で同ミュージアムの建築を支援する隈研吾氏が経緯を明*。

    「昨年、タモリさんに私が設計した早稲田大学の『村上春樹ライブラリー』の話をしたんです。春樹さん自慢のレコードが所蔵されていて来館者が聞けるようにしてるんですよ、と言うと、『面白いね。レコードをたくさん持ってるからやりたい』と。いつ完成するかわからないと伝えると『あんまり先だと俺は生きていないよ』と笑っていました。自分のコレクションを次の世代に託したいと考えているのでしょうね」

     ゆっくりだが着実に「終活」を進めるタモリ。その背景には、妻の存在がある。

    「頭が上がらない」2歳上の妻の現在は?

    「2014年に32年続いた『笑っていいとも!』を終えた理由の1つに、病気がちになった奥さんとの時間を増やしたいとの意向もあった」(芸能記者)

     タモリが2歳年上の妻と出会ったのは、福岡の朝日生命でサラリーマンをしていた時代。結婚後、芸能界デビューを目指し、上京した際は、2人で赤塚不二夫の家へ居候していたこともあったという。

    「『いいとも!』の時期も奥さんが毎朝5時半に起きて朝食を作って支えた。『カミさんには頭が上がらない』とよく言っています」(知人)
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    続きはソースで
    https://bunshun.jp/articles/-/64742

    【【芸能】「いま終活中なんだよ」77歳になったタモリの“静かな老後”《2歳上“糟糠の妻”を介護する日々》】の続きを読む

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     暴走族雑誌『ティーンズロード』に出演したことがきっかけで、ついにはCD&芸能界デビュー。1990年代、女暴走族のカリスマとして君臨したかおりさんの人生にクローズアップ。バラエティ番組『笑っていいとも』に出演した際、あわやケンカになりかけた出来事と、それを制止した「タモリさんの一言」とはいったい……?

     かおりさんによる初の著書『「いつ死んでもいい」本気で思ってた・・・』(大洋図書)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

    ◆◆◆

    初代鬼風刃デビュー

    「かおりちゃん、CDを出してみないかって話が来てるんだけど」

     女族(かおりさんが2代目総長を務めたレディース)を引退して間もなく、『ティーンズロード』編集長のKさんからこんなお話がきた。

    「え! なにそれ? 歌、下手だよ私」

     全国のレディースを5人集めてCDデビューするというお話だった。

    (私の歌聞いたことないのに、大胆だな……)

     そんなことを思いつつも、それまで雑誌、TVに出てきて芸能界に興味を持ちはじめていた私は、二つ返事でOKした。

     メンバーとの初顔合わせの日、緊張と興奮で胸が高鳴った。

     メンバーは私を含めて5人。

     秋田のじゅり、岩手のゆうこ、三重のえみ、京都のさちこ。そして私、栃木のかおり。

     それぞれが『ティーンズロード』で名を馳せていた総長や副総長だ。

    (いくら元とはいえ、レディースの頭張ってた者同士が集まったらケンカになるでしょう!)

     本気でそう思った。

     20人くらい入るレコード会社の会議室で私たちは初対面した。

    「北関東硬派連盟貴族院・女族の2代目総長かおり。よろしく」

     まさか引退後に再びこんな自己紹介をするとは……少し照れ臭かった。今まで『ティーンズロード』でしか見たことがないレディースの頭たちがこうして一堂に会すると、なんとも言えないピリッとした空気があった。

     全員の自己紹介が終わった後、担当の人から今後の活動の流れやら説明を受けた。

    「たばこは吸っていいの?」

     私のこんな一言に、レコード会社のえらい人たちが固まっていた。慌てて担当者が

    「まだ未成年だから、吸っちゃダメだよ」

    「え~、無理だろ、やめられねぇよ」

    「吸うなら、見えないところで吸ってね」

     なんとかそれでなだめられた。

     スタッフたちは引き上げて、私たち5人だけが会議室に残された。

    出会ってすぐに意気投合

     ピリッとした空気のなか、京都のさちこが話しはじめた。

    「なぁ、かおやんやろ? 私、『ティーンズロード』で見てたんよ」

    「そうそう、私もずっと見てた」

     秋田のじゅりもそう続けた。

     三重のえみも「うちも、知ってる」、岩手のゆうこも「私も前から知ってた」と、みんな私のことを知ってるらしかった。

    「かおやん?」

     いきなりあだ名? 関西弁でそう言われたことがとても新鮮で、さっきまでの張りつめた空気が一気に溶けた。

     すぐさま私たちは意気投合した。

     レディース総長のあるある、気苦労など、共感しあえた部分があるからこそ仲良くなれたのだろう。

     それに5人の役割、というか個性が面白いぐらい被ってなかった。

     じゅりが一番年下で、とっても男らしい、妹みたいでかわいかった。

     ゆうこはかなりマイペースで、好き、嫌いがはっきりしていた。

     さちこが一番しっかりしていて、肝っ玉かぁちゃん。

     えみは少し天然なキャラ。

     私は……お笑い担当だったかな?

     グループの名前は、みんなでいろいろ考えたけど、結局レコード会社が用意していた「鬼風刃(きふうじん)」――“鬼のように風を刃って走る”って意味だったかな――になった。

    「どうせなら暴走族らしく“初代”をつけよう」

     ということで、「初代鬼風刃」に決まった。

     こうして史上初の本物のレディース総長によるユニット・初代鬼風刃は結成された。

    『笑っていいとも』に出演してあわやケンカに

     初代鬼風刃のデビューが決まって、いろんな雑誌、新聞のインタビューを受けた。

     悪いことをして“少女A”以外で新聞に載ることになるなんて……正直嬉しかった。

    「うちら、実名で出るんだなぁ」

     初代鬼風刃全員でそう思った。

     取材では、同じ質問を何社からもされる。

    「チーム名お願いします」

    「どうしてCD出そうと思ったんですか?」

    「目指すところは?」

     とかね。それに逐一答えていかなければいけないのだが、まだまだヤンキー感が抜けない私たちは、

    「さっきも言ったよ」

     なんて、1日に7~8回も聞かれると最後は不機嫌になりだるい感じで答えていた。

     だけど、「目指すは、紅白歌合戦」

     そんな大きい夢をいつしか持つようになっていた。

     実は初代鬼風刃にリーダーはいない。置かない、いや、置けない。それぞれ頭を張ってきたメンバーをまとめるのは一苦労だとわかっていたので、どんなことでもみんなで話し合って決めることにした。

     雑誌、TV出演、レコーディングなど、仕事がある時はそれぞれ地元から通っていたんだけど、上京するとビジネスホテルに1~2週間滞在することもしばしば。そんなときの部屋割りはジャンケンで決めるようにした。みんな好みがあるからね。

     あとは、5人いると写真を撮る時にはセンターができてしまう。そんな時も公平にジャンケンで決めていた。“センターを決める”ってなんだかAKB48みたい? いや私たちがはしりかもね(笑)。

     こうして私たちは独自のルールでバランスをとりながら仲良く仕事をし、シングルCD2枚とアルバム1枚をリリースさせてもらった。

    『笑っていいとも!』に出たこともある。アウトローな人を審査する企画で審査員をやった。

     最初にタモリさんに挨拶をしに楽屋を訪ねた。

    「初代鬼風刃です、よろしくお願いします」

    「あぁ、よろしくね」

     タモリさんは、テレビと同じで優しそうな雰囲気だった。

    「ねぇ、見た? 本物だよ、サングラスかけてたね」

     私たちは完全にミーハー状態(笑)。

     番組は生放送だから、放送で絶対に使ってはいけない放送禁止用語の一覧表を見ながらスタッフが教えてくれた。

    「え~? これが放送禁止用語なん? うちら一発でアウトじゃん」

     普段よく使う言葉がたくさん入ってた(笑)。

    「これ全部使っちゃいけないんじゃ、しゃべんなってこと?」

     びっくりするぐらい生放送って気を遣うんだなぁ。

     本番では、アウトローの審査に栃木県のレディースが出場していた。

    「なんだよ、栃木だ? 栃木のどこ?」

     私の血が騒いだ。

    「壬生(みぶ)だよ」

     出場した子が言う。そのえらそうな言い方にカチンと来た。調子こんでるやつを見るとついケンカ吹っかけたくなってしまうんだよね。

    「なんだ、田舎じゃん。帰れ」

     私なんと、生放送でキレてしまった。あたりは一瞬ピリッとした空気になった。

     そこはさすが、タモリさん。

    「そうだよ、早く帰りなさい」と笑いに変えてくれたのだ。

     ピリピリした空気を瞬時に面白さに変えるタモリさんのフォローに、やっぱり名司会者は違うなぁと感じたものだ。

     他にはこんなこともあった。これはじゅりの話だけど、ある深夜番組に出演した時に、司会者のタレントを指さして、「あいつ、むかつく。気に食わない」と言ったのだ。

    「確かに、むかつくよ」

     私たちもじゅりに賛同。もう一人の司会者が慌てた様子で、「まぁまぁ」と私たちをなだめてきたことをよく覚えている。

     引退したとはいっても、根っからのヤンキー気質はそうそう変わらないよね。

    「可愛い孫を傷つけられて、どんだけショックか分かるか?」長男の暴力が原因で土下座したことも…暴走族を引退した後も壮絶だった「伝説のレディース総長・かおり」のその後〉へ続く

    (かおり/Webオリジナル(外部転載))

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    いいとも放映中、レディース同士がケンカしかけたことも……。それを制止したタモリさんの「気の利いた一言」とは? ©文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)


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     タレントタモリ(77)が5月31日、都内で行われた放送批評懇談会が主催する「第60回ギャラクシー賞」贈賞式に出席。『放送批評懇談会60周年記念賞』を受賞した喜びを語った。

    【動画】ユーモア溢れるスピーチに会場爆笑!?授賞式で安定のトークを披露したタモリ

     タモリは、受賞のスピーチで「ありがとうございます。これ、この式場にきて、だんだんとことの重大さに気が付きはじめまして、節目に私が受賞していいのかと。大変な方々が受賞しているようで、本当に光栄に思っております。ありがとうございました」と恐縮しきり。

     個人として受賞について「それなんですよね。作品としてなら、私ひとりの力じゃないんですけど、今回はお前よくやったぞということですから。この世界に入って、活動したんですけど、ほぼ半分は非難の歴史でした。最初はサングラスをかけてテレビに出るなんて…ということで、ブリーフイグアナものまねもやりましたし(笑)。それで、ようやくここいらで褒められ始めて、ちょっと気持ち悪く思っているんですけど」と軽妙なトークで笑わせた。

     「批評性に富んだ笑い」が評価されたことについて「過大評価です(笑)」ときっぱり。「過大評価に最近苦しんでおりまして、批評性はないけども、心がひねくれていますから、それが出ているだけで。それだけの力も技術もないので、言っていただくのはありがたいんですけど、過大評価です」と続けた。

    今後のテレビラジオ界について「地上波っていうのは、ちょっと下り坂になっているみたいですが、まだまだやる余地があると思うので、今後もそれを見つけてやっていきたいと思います」と意気込んでいた。

     同会は選評として「1970年代デビュー以来、鋭い批評性に裏打ちされた知的な笑いは変わることがありません。その唯一無二の批評性は、今の時代においてこそ必要とされているものです」と説明。「さらに、その一貫して自由で柔軟な生き方は、タレントという枠を越えた絶大な存在感を示し、多くの人々から支持されてきました」とし、「半世紀近く常にテレビラジオの第一線で活躍してきた放送界への多大な貢献は、当会の60年におよぶ批評活動を記念して贈る賞にまさにふさわしく、心からの敬意を表するものです」としている。

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    今後のテレビ界にも言及したタモリ (C)ORICON NewS inc.


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    1 jinjin ★ :2023/05/16(火) 08:49:05.00ID:70LcTRvr9
    タモリにギャラクシー「60周年記念賞」 放送批評懇談会創立60周年を記念、31日に贈賞式


    タレント、タモリ(77)が優れたテレビ番組などに贈られる「第60回ギャラクシー賞」で放送批評懇談会60周年記念賞を受賞したことが15日、発表された。

    同会の創立60周年を記念した賞で、長年にわたり放送文化で大きな功績のあった作り手、出演者、番組が対象。

    タモリの選評について同会は「1970年代のデビュー以来、鋭い批評性に裏打ちされた知的な笑いは変わることはありません」とたたえ、
    「半世紀近く常にテレビやラジオの第一線で活躍してきた放送界への多大な貢献は、当会の60年におよぶ批評活動を記念して贈る賞にまさにふさわしく、心からの敬意を評するもの」と説明した。

    贈賞式は31日に行われる。
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    https://news.yahoo.co.jp/articles/96e03ac6b4d2a0fbff421daa8484c489bfeb130f

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    1 jinjin ★ :2023/04/25(火) 22:12:38.27ID:CKnN1lPH9
    タモリ、かつて夢見て暮らしていた下北沢を30年ぶり訪問 幻の「第2山手線」計画に「実現してほしかった」


    タモリが、4月22日放送の『ブラタモリ』(NHK総合)で東京・下北沢を訪れた。

    下北沢駅について、タモリは「(前回来てから)30年は経っている。小田急が地下に潜ってからは初めて。ご立派になられて……」と、街の変化に驚いていた。

    街を歩いて、古着店が多い点に「古着屋もぽつんと1軒あるよりは、シモキタに行けばたくさんある、となったほうが相乗効果ですね」と評した。


    また、専門家が、昭和2年に計画されたという、現在の山手線の外側に、大井町から中野、王子、千住などを通り、江東区の旧町名・洲崎までおよそ43kmを結ぶ「第2山手線」について説明。

    それを聞いてタモリは「実現してほしかった。うちの近くを通ったのに……」と残念がっていた。


    小田急電鉄創業者の利光鶴松氏によって計画された「第2山手線」だったが、渋谷、新宿を通らないことで資金繰りに苦戦して、結局、実現しなかったという。


    下北沢を歩いたタモリに、SNSではさまざまな意見が書き込まれた。

    《ブラタモリ面白かった〜 第2山手線計画にビックリしましたし、タモリさんの懐かしんでる感じが良かった》

    《面白かったなぁ。 今日のブラタモリ。 「第2山手線」が実現していたら東京の街の繁華街の場所も今とは変わっていたかもで興味深い》

    《下北沢に行きたくなりました。タモリさんの懐かしそうな顔も良かった》


    「番組内で、タモリさんが下北沢を歩いていると、通行人から『ブラタモリさん!』と声をかけられました。タモリさんは『“ブラタモリさん”じゃないですよ。私はタモリさん』と笑っていました。また、タモリさんは下北沢で、32歳のころに2年ほど住んでいたアパートの周辺を訪問して『ここで夢を見てました』とコメント。当時について『欽ちゃん(萩本欽一)の事務所があって、キャンディーズのミキちゃんがこの辺に住んでいて、(自分を含め)3人がタクシーを呼ぶ。それぞれ、あいさつしながら別の方向に行った』と懐かしそうでした」(芸能ライター)


    タモリの32歳といえば『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送ほか)が始まった時期。
    その後のさらなる大成に向け、夢見るタモリはシモキタ暮らしを送っていたのだ。
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    https://news.yahoo.co.jp/articles/606b6d360533cfe60de9afd0e3e273f32f42fee6

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