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    カテゴリ:訃報・追悼 > 【訃報・追悼】林家こん平関連記事

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    1 爆笑ゴリラ ★ :2020/12/21(月) 16:28:28.05 ID:CAP_USER9.net BE:895727505-2BP(0)


    12/21(月) 15:55
    スポニチアネックス

    桂文枝 こん平さん訃報に「悲しみを持って行きようがありません」
    落語家の林家こん平さん
     落語家の林家こん平さんが誤嚥性肺炎のため、17日に亡くなっていたことが21日、分かった。77歳。新潟県出身。葬儀は近親者によって19日に執り行われた。こん平さんは2004年に多発性硬化症を患い、13年には糖尿病が悪化して闘病していた。

     訃報を受け、落語家の桂文枝(77)が自身のブログでこん平さんを追悼した。

     曇り空の写真とともに「桂小文枝襲名披露パーティに来てくださったこん平師匠の訃報が入りました。年季は師匠の方が古いと思いますが同じ年でした。卓球のお手合わせをすることなく終わりました」と無念をつづった文枝。「あかるくて 義理堅くて さすが三平師匠の薫陶を受けて 気配り 心配り なによりも明るい高座」と故人を偲び「悲しみを持って行きようがありません。ご冥福を」と結んだ。 
     
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    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/4af61ac746ab76e09a99d2b77c125e2d111d512b


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    1 朝一から閉店までφ ★ :2020/12/21(月) 16:12:59.68 ID:CAP_USER9.net

    2020.12.21

     日本テレビ系の演芸番組「笑点」などで知られた落語家の林家こん平(本名笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後2時2分に誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことが、21日、分かった。77歳。所属の落語協会が発表した。19日に家族葬が執り行われた。
     こん平さんは昨年4月に小脳梗塞で緊急入院。投薬治療で回復し、5月に退院。8月には「都電落語会5周年記念感謝祭」で姿を見せ、得意の卓球でラリーを行っていた。
     今年行われていたはずの東京パラリンピックの応援大使にも就任しており、開催を心待ちにしていたはずだった。8月の「都電落語会」イベントには小池百合子都知事も出席し、「1、2、3チャラーン」にちなんだ新ネタ「1、2、3、パラ~ン」も披露。だがまさかのコロナ禍で大会は延期。大会を見届けることができなかったのは心残りだったに違いない。

    https://www.daily.co.jp/gossip/2020/12/21/0013954699.shtml

    20201221-00000092-dal-000-2-view


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    1 爆笑ゴリラ ★ :2020/12/21(月) 16:56:10.55 ID:CAP_USER9.net BE:895727505-2BP(0)


    12/21(月) 16:50
    スポーツ報知

    三遊亭小遊三、林家こん平さんを追悼「バイタリティに溢れた方でした」
    三遊亭小遊三
     落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため77歳で死去したことを受け、落語家の三遊亭小遊三(73)が21日、追悼コメントを発表した。

     「『らくご卓球クラブ』を立ち上げる(1987年)のに『手伝え』と言われ、こん平師匠が監督、私がヘッドコーチとして一緒に活動しました。方々へ引っ張ってもらい、世界ベテラン卓球選手権大会ではダブルスで一勝しました。(2002年スイス・ルツェルン大会)人並み外れたスタミナにはいつも驚かされ、バイタリティに溢れた方でした。番組でも卓球でもいつも飲み過ぎで、私は二日酔いで*思いでした。」と、林家さんを偲んだ。

     こん平さんは、2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。


    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/827d1464d6a4d8c2648631b27fdb117e36f97d15


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    1 爆笑ゴリラ ★ :2020/12/21(月) 16:37:38.82 ID:CAP_USER9.net BE:895727505-2BP(0)


    12/21(月) 16:19
    スポニチアネックス

    海老名香葉子さん 夫の弟子・林家こん平さん追悼「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」
    海老名香葉子さん
     落語家の林家こん平(本名、笠井光男=かさい・みつお)さんが誤嚥性肺炎のため、17日に亡くなっていたことが21日、分かった。77歳。新潟県出身。葬儀は近親者のみで19日に執り行われた。

     師匠の故初代林家三平さんの妻・海老名香葉子さん(86)はマスコミ各社に宛てた文書で「予てから療養中で居りました林家こん平が旅逝っていきました」と報告。「林家を守り貫けたのもこん平の力大です」と感謝し、「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」と悼んだ。

     海老名さんが発表したコメント(原文まま)は以下の通り。

    ここに謹んでご報告申し上げます

    予てから療養中で居りました林家こん平が旅逝っていきました

    十五才の時 新潟から初代林家三平の五番目の弟子として内弟子となり、修行中は一直線の真っ直ぐな子で、前座時代師匠方によく気のつく先きが楽しみと言われた子でした 世帯を持ちテレビに出始め初のレギュラー笑点にて人気者になりました

    どんなに忙しくなっても必ず毎日顔を出すか電話を入れる子でした

    四十年前 師匠が亡くなって一門結束してこん平を頭にしてを守って頑張ってくれました 三十七才にて大勢の先頭に立つ身になり波風 風当たりに戦っていたので酒浸りで暴れて皆様にご迷惑をかけたことと思いますが私にはおかみさんが歳をとったら僕が面倒みますからね と何度も言って優しい子でもありましたがお酒が入ると手こずりケンカでした でも私に寄り添って一門を支えていたのも確かです

    いよいよ芸風も焦点のお蔭でチャランを全国の皆様に知って頂けるようになりました

    矢先 六十一才の時、病魔に襲われ闘病し見事な快復をみせましたが 全快をみせずに老いた私を置いて逝ってしまいました

    ぼたんに感謝せずにいられません 十六年の病と戦い安らかに旅逝ちました

    林家を守り貫けたのもこん平の力大です

    六十二年間の林家の門下生として立派に尽くしてくれたことを誇りに思います

    でも老いた私より先に逝くなんて哀しいことです 天国で師匠!と言って甘えていることと思います

    日本中の皆様にご親切を沢山頂きまたご迷惑をおかけしたこともあるやと存じます

    どうか許してやって下さい

    長い間 ご贔屓下さいました皆々様にお礼を心から申し上げます 
     
    no title

    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/79e23dc9401f1f16ae48c24192262aac320dd89c


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    林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ~ン」


    NO.9114201 2020/12/21 15:23
    林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ~ン」
    林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ~ン」
    日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去したことが21日、分かった。

    77歳。

    関係者によると葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。

    2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。

    一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。

    最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。

    あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ~ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。

    6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。

    自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。

    「チャラ~ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。

    40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。

    当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。

    1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。

    05年に判明した病名は「多発性硬化症」。

    厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄..

    【日時】2020年12月21日 14:56
    【ソース】スポーツ報知
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