萩原健一、22年ぶりシングル発売…48年前、ザ・テンプターズ解散をリークした秘話語る
2018年5月10日11時0分 スポーツ報知
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アマチュア時代から現在までを赤裸々に語った萩原健一(カメラ・関口 俊明)
(出典 www.hochi.co.jp)
2日に全国ツアーをスタートさせた萩原健一
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新曲「Time Flies」のジャケット写真
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昨年デビュー50周年を迎えた俳優で歌手の萩原健一(67)が、このほど初めて自身のレーベル「Shoken Records」を設立し、9日に22年ぶりとなるシングル「Time Flies」を発売した。
全国ツアーもスタートし、「今が一番、音楽やってて楽しい。まだまだ現役でいたい」と鋭い目を光らせ、原点というアマチュア時代から、ザ・テンプターズでのブレイク、現在にいたる心境を赤裸々に語った。
デビューから半世紀が過ぎ、ショーケンが新たな一歩を踏み出した。
1996年の「泣けるわけないだろう」以来となるシングル「Time Flies」は、51年のキャリアで初めて自身が作詞、作曲を手掛けた3曲を収録した。
過去に作詞はあるが、作曲した曲の発売は初。同時に自身のレーベルまで設立した。
「50年やってきて、去年のツアーがうまくいったので、今までやってないこと、真新しいことをしてみたかった。ボイストレーニングもしょっちゅうしてるし、声は去年より良くなってるよ」と自信たっぷりだ。
新曲は王道のロックな曲調に独特のシャウトが響き、67歳という年齢を感じさせない格好良さがある。
日本語のことわざで「光陰矢のごとし」を意味する「Time―」をはじめ、テーマは原点回帰だ。萩原にとっての「原点」は、アマチュア時代に遡る。
「原点っていうと、皆さん、グループサウンズ(GS)の頃に戻ったんだと思うだろうけど、僕にとっての原点はデビュー前。進駐軍の兵士たちが行く横浜のゼブラクラブとかで、ヤードバーズのブルースなんかをのびのびと歌っていた頃なんです」と力を込めた。
中3の時にクローク係をしていたダンスパーティーで、腹痛で歌えなくなった女性ボーカルの代わりに、飛び入り出演したのを機にザ・テンプターズ入り。だが、ゼブラクラブで歌う時には「ベガーズ・バンド」などと、名前を変えて出演していた。
テンプターズは複数のスカウトを受け、67年「忘れ得ぬ君」でデビュー。ボーカルの萩原は類いまれなカリスマ性で一気にスターダムに上り詰め、GSの最盛期を支えた。
だが、萩原自身はデビュー時から、大きな違和感を抱えていたという。デビュー時の最たる希望は「衣装を着ないこと」だったが、あっけなく覆されていた。
「プロになってみたら、いきなりお花畑にいる少年みたいな格好をさせられてさ、嫌で嫌でしょうがなかったんだよ。GSは決して僕の原点じゃないよ」
アイドル的な扱いに、人気が出ても居心地の悪さは増していく。メンバー同士のけんかも絶えなくなった。
70年、萩原は強硬手段で解散する。親しいスタッフにも告げず、自ら報知新聞社の記者に解散をリークした。
「そうなんだよ! 当時はそうでもしないとやめられなかった。背中を自分で押したんですよ」と笑って振り返った。
「何もかも更地にして、一度しっかり勉強したかった」。
しかし、周囲はスーパースターを放っておかない。翌71年、ともにGSの一時代を築いたザ・タイガースの沢田研二(69)とのツインボーカルで、バンド・PYGに参加する。
「余裕がなくて突っ走って、音楽はもう嫌だ、降参だったけど、嫌なことをやらない勇気もなかったんだ」
PYGは実力者が集ったオールスターバンドと言われ、GSから本格的なロックサウンドへの脱皮を目指したが、1年ほどで事実上の解散となる。
「散々アイドルで歌ってたのがロックなんて何様だと、反感を買ったんです。ライブでも腐ったトマトが飛んできたりした。偉い人は『ショーケンで1万人、沢田研二で1万人、合わせて2万人、ウッシッシ』なんて言ってたけど、200人ぐらいしか入らなかった」
>>2以降に続きます。
【音楽】萩原健一、22年ぶりシングル発売、自身が作曲した曲の発売は初 48年前、ザ・テンプターズ解散を報知にリークした秘話を語る
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