長瀬智也「達也以外のベースでTOKIOをやるつもりはない」 こだわった音楽活動
来年3月いっぱいでジャニーズ事務所からの退所を発表したTOKIOの長瀬智也。
理由の1つとして外せないのが、音楽活動だった。
長瀬の音楽へのこだわりはTOKIOメンバーも舌を巻くほど。
2018年にメンバーの山口達也が不祥事でジャニーズを退所したことで、ベーシストを失ったTOKIOは音楽活動ができなくなった。
「長瀬は『達也以外のベーシストを呼んでTOKIOをやるつもりはない!』と宣言したと言われています。それだけTOKIOの作る音楽にこだわりがあったのでしょう」とは関係者。
昨年、同じジャニーズの木村拓哉がパーソナリティーを務めるラジオに長瀬がゲスト出演した際、「人生の一曲」としてTOKIOのシングル「クモ」を挙げた。
作詞作曲は長瀬。山口の不祥事で、この楽曲がTOKIOとして最後に出したシングルになった。
長瀬は昨年、密かにイベントでDJをしていたと報じられた。
前出関係者は「2011年に長瀬はプライベートで知り合った友人とバンド『The SISSY BARS』を結成している。
昨年、イベントでDJをしたと報じられた時も、TOKIOで音楽ができないという情状酌量もあり、ジャニーズも見て見ぬふりをしてきた」と話す。
勉強もしてきた。もともとTOKIO結成当時は、松岡昌宏の方が音楽に詳しく、長瀬は教わる立場だった。
「その後、長瀬は猛勉強した。今ではほかのメンバーが長瀬の音楽の世界観や知識、博学ぶりに驚くほど。自宅に音楽や映像編集までできるスタジオを持つまでになった」(音楽関係者)
1度のめり込むと、究めるまで熱中するのが長瀬。ジャニーズ事務所を辞めてまでハマるものを見つけたのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/58da505ec1ba699980b7924b3a3749001a2ba263
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