2021年8月に上演された尾上松也歌舞伎自主公演『挑むVol.10 〜完〜 新作歌舞伎「赤胴鈴之助」』。同公演で歌舞伎の世界に足を踏み入れた生田斗真の約2カ月半に密着したNetflixドキュメンタリー生田斗真 挑む』が6月16日(木)より全世界配信される。11才からジャニーズJr.として芸能活動を開始し、俳優の道を極めてきた生田。今回は、同作への出演を通して感じたことや、彼自身のキャリアについて改めて語ってもらった。

不思議ルーツを感じる歌舞伎の音

ーーNetflixドキュメンタリー生田斗真 挑む』は、日本のみならず世界同時配信されることでも話題です。自分のドキュメンタリーが世界中で配信されることについて、どう感じますか?

恥ずかしいですよね(笑)。とても嬉しいし、ありがたいし、いろんな人に見ていただきたいなと思っている反面、普段あまり見せることがないような場面や、自分の内側を見られるのはちょっと不思議な感覚です。

ーー生田さんの魅力はもちろん、歌舞伎という文化を知るきっかけにもなると感じました。

正直、歌舞伎の本当の文化や、そこに宿る技や伝統を知るには、僕が出ていない歌舞伎を見た方が良いと思うんです。でも、僕のような普通の俳優が歌舞伎と出会う姿を見ることで、歌舞伎が戦争や災害を乗り越えて、400年以上日本の文化として根付いているのは、なぜなのかを考えるきっかけになれば嬉しいなと思っています。

ーー生田さんは、歌舞伎が400年以上根付いてきた答えをどのように感じましたか?

僕なんかが言うのは恐縮なんですけど、ドキュメンタリーの中でも、少しお話しした通り、自分のルーツみたいなものをすごく感じました。歌舞伎を演じていると「自分って日本人なんだな」「日本の俳優なんだな」と思うことが多く、この先の人生が大きくガラッと変えられてしまうような衝撃を受けましたね。

ーー実際に舞台で新作歌舞伎を演じてみて、どう感じましたか?

理屈ではない高揚感を感じました。僕はハードロックやヘビーメタルが「1番かっこいい音楽だ」と思っていて、ドラムは速ければ速いほど、ギターは歪めば歪むほど良いと思っていましたし、今でもそう思っているのですが、歌舞伎を演じていて聞こえる三味線和太鼓の音、ツケの音、お客さんの拍手の音と、自分の踏み出した音が混ざったときの音…そういう音を聞いて「うわ!これが最高のやつじゃん!」と思ったんですよね。僕の先祖には歌舞伎役者も音楽家もいないのですが、なぜかルーツフィット感を感じました。

■「友達同士で仲良くやっているのね」とは思われたくなかった

ーー『挑むVol.10 〜完〜』は、生田さんの高校時代からの親友・尾上松也さんのプロジェクトとのことですが学生時代から「いつか一緒に舞台に立ちたいね」とお話しされていたそうですね。

はい。ただ僕自身はフワッとした夢くらいに思っていました。学生時代のちょっとした会話の中で「いつかやろうよ」「いいね」ってくらいの。きっと当時は松也くんにも明確なビジョンがあったわけではなかったと思うんですよね。実際、松也くんは「実現するわけないよな」と思っていたらしいですし。だから、教室の片隅で話した約束とも言えない会話が、想像もつかないぐらいの大事になって、実現して、しかもドキュメンタリーまで撮っていただけるなんて…ちょっと考えられないんですよね(笑)

ーー実際に尾上松也さんと共演することが決まった時、どう捉えましたか。

「学生時代に交わした約束を、時を経て実現させた」って聞けば、すごくプラスなことではありますけど、ちょっと変な見方をすると「友達同士で仲良くやっているのね」とも捉えられかねないんですね。それをわかっていて、僕らは「共演する」という選択をしました。それは「本気でやらなきゃいけない」から。なんとなく「生田斗真、良かったよね」じゃなくて、「やばいね、あの人」「歌舞伎役者だね」って言われなきゃいけないという気持ちで自分たちを追い込んでいったんです。もし上手くいかなかったら、松也くんにも、歌舞伎界にも迷惑がかかりますから責任重大だし、いろいろなものを背負いながら臨みました。

ーー精神的なプレッシャーも大きかったんですね。

ただ、尾上松也くんを始め自主公演『挑む』のチームにいる役者さんや、スタッフの方々が身支度から足りないものの用意、わからないことや気になることへのアドバイスなど僕のサポートを全部やってくれたんです。優しく温室で育てられた感覚で、すごい助かりましたね。

■演技の道へ進む決意した高校卒業間際

ーードキュメンタリーの中で、高校生の頃、周りが売れていくのを見て、初めて仕事だと認識したとおっしゃっていたことが印象的でした。それまでは、お仕事として捉えていなかったんですね。

この仕事を始めたのも、親の推薦がきっかけで、自分で選んだ道ではなかったので。ただオーディションに行って、なんとなく楽しくて、なんとなく受かって、なんとなく日々が楽しかったから、仕事の意識なんて全くなかったんですよね。将来のことも考えたことなかったから、高校を卒業するタイミングで「大学行くの?」「この仕事続けるの?」「辞めて、就職するの?」と選択肢を目の前にした時に、仕事としてちゃんとやろうと思ったんです。

ーー芸能界と一括りにしても、いろいろな選択肢がある中で演劇を選んだのはなぜだったのでしょう?

漠然と自分の周りにいる演劇人たちが、かっこよく見えたんですよね。正直、どうしようもない人もいたのですが、舞台の上に立って、芝居を構築して、見に来てくれたお客さんたちに「楽しかった、明日も頑張ろう」とパワーを与える姿を目の当たりにして「かっこいいな、この人たち」って憧れたんです。

ーーそこから演劇の道に進むにあたり、どのような行動をしたのでしょう?

まずは舞台の機会があったら「たくさんやらせてください」と事務所の方に伝えました。それから「舞台をやりたい」と言っても知らないことが多かったので、どういう劇団があって、どういう劇場があって、どういう役者さんたちがいて、何がおもしろいのか、自分に合うのは何かを探るべく、いろいろなお芝居を見に行きました。

■キャリア20年超「目標を描いたことはない」生田のモチベーションは

ーー歌って、踊ってという伝統が受け継がれてきたジャニーズ事務所の中で、俳優1本の道を切り開いていった生田さん。前例がないことに悩んだことはないのでしょうか?

前例がないので、苦労したのは22歳ぐらいまででしたね。作品のエンドロールで、名前の後ろに“生田斗真(ジャニーズJr.)”って書いていて「もう22歳だぜ?」って(笑)。ただ、そこにも関連するのですが、自分の居場所がないなとは感じていました。

ーーそれはなぜでしょう?

ジャニーズの中にいても「役者さんだよね」と言われ、舞台の現場に行っても「ジャニーズの人だよね」って言われ「俺はどこの誰なんだろう」って思ってしまったんです。

ーーその時は、どのようにして乗り越えたのでしょうか?

ふとしたときに「これはもうめちゃくちゃポジティブに考えて、どこにもカテゴライズできない存在なんだ」と思うようにしました。そして「そのためには、もっとちゃんと確立しなきゃいけない」と考えて、技術的なこととか、芝居のことをより真剣に考えるようになりましたね。

ーーその当時や今、生田さんは俳優としてどうなることを目標にしているのでしょう?

最初は僕が最初にかっこいいなと思った演劇人のような、毎日笑って過ごしていて、一見しょうもないんだけど、でも人々を幸せにできるような大人になりたいなと思ったんですよね。「主演のドラマをやりたい!」だとか「賞を取りたい」と俳優としての目標を持ったことはなくて、ただただ目の前の仕事を全力でやってきました。

ーーなるほど。特に目標を立てないとのことですが、約20年間、演技の仕事を続けられているモチベーションはなぜだと思いますか?

俳優っておトクな職業なんですよ。免許持ってなくても医者になれるし、殺人犯になっても捕まらない……というのは冗談半分で(笑)。その瞬間「おもしろそう!」と思う選択肢を選び続けてきたら、今の自分と仲間に出会えたという感覚なんですよね。

実際、コロナ禍緊急事態宣言になったとき、僕半年分くらいの仕事が全部飛んでしまったんです。ただ、その時にスタッフから「黒柳徹子さんとご一緒に舞台をやりませんか?」と連絡が来て、それもまた出会いだったなと。そのときのタイミングで、自分では描けなかった地図が勝手に出来ていく、それがモチベーションかなと思います。

取材・文/於ありさ


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Netflixドキュメンタリー『生田斗真 挑む』2022年6月16日(木)全世界独占配信


(出典 news.nicovideo.jp)


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